D.C.〜ダ・カーポ〜

先日ご飯を一緒に食べにいった人たちの中でなんというか叩きをやっていたのが気になりまして。
最初に断っておきますが私は曲芸信者ではありません。
D.C.信者かどうかと聞かれると微妙なところです。
発売されたD.C.関係の歌をShort、FullSize含めほとんど全部持ってますしD.C.の設定とキャラは好きです。
なので庇護するような意見になるかと思いますが、叩いてるのが悪いという訳ではありません。
それはそれで立派な意見なのでメーカーは真摯に受け止めたほうがいいでしょう。
ただ、どうも論点がそれどうなのよ?的なところがあるのが気になるのでした。


曲芸商法
所謂比喩ですがこれは叩く材料になりえるのでしょうか?
何ゆえにこのように言われているのかというとCIRCUSはDVD版の売り上げでCD版の生産をしているという点、初回ロットを抑えることで品薄感を出す、多種多様のパッケージを出すが廉価版は出さないといった点が上げられます。
今時CD版出す必要があるのかというと疑問点は残りますが、出たからといって何か不都合があるわけでもありません。
DVD版とCD版の初回特典、その後に特典なしの通常版を出しているのですがやっぱり特典が欲しい!!とでもならない限り一個買えば十分なわけで。
要らなければ買わなければいいだけの事です。
むしろ生産数が少なすぎてプレミア価格が付いて買えないよりよっぽどましなのではないでしょうか?
再生産版は価格が同じものの販促物が一緒に付いてきますし。
廉価版を出さないのに文句を言っているのか、こういう品薄感を出すのに文句いっているのか、コピー防止用のシリアル付きに文句言っているのか分からんのです。
コンシューマでもこういった事例は多々見受けられます。
あちらは木曜日販売し、初日の動向を見て翌週の追加生産を決めるといった流れがあるのであんまり変わらないような。


この業界で5000本売れればヒット作といわれるほどなので商売としては割りと普通なのではないでしょうか。
どうも過敏反応しすぎな気がします。
そもそもこういうことを言う人はちゃんと買って言ってるんですよね?
コピーした挙句に販売で叩くってのはどうにもこうにも。


■ゲームがだめ
なんかゲームやってみたけどダメポと連呼してました。
何がどうだめなのかが不明。
CIRCUS作品はインファンタリア体験版→水夏D.C.と入ってきた口なのでCIRCUSというより七尾奈留+御影という組み合わせに惹かれてプレイをしました。
minoriから年末に出る予定のefも同様の理由です。
で、御影が担当しているシナリオは何か、というと音夢とさくら、ついでにD.C.の世界観の設定を担当しています。
普通、ゲームにだめだしを出すならば「シナリオ(キャラ)の薄さ」「設定の説明不足」「絵」「音楽」「システム」あたりだと思うんです。
他の要素で叩いていたのかもしれませんがとりあえずそれはおいておくとして。


キャラゲーと言われるとおり各々キャラは立っていますし絵は可愛いので問題は無いでしょう。


音楽はやっても記憶に残らない程度のレベルのゲームではなく、聞けばこういう曲あったなぁと思い返せるレベルです。
少なくともどこかのお兄ちゃんはsongs from D.C.音夢のテーマ聞かせたらすぐ分かったので微妙ってことも無いでしょう。
水夏ですら数曲覚えていますし、実際何曲かは歌にもされているのでここも十分及第点かと思います。
いろんなゲームやったけど覚えてる曲って少ないもんなぁ・・・(;´д`)


システム周りは当時のレベルでは十分高性能です。
シナリオロードはありますし、セーブ数も大目。
今でこそ動きがあるゲームエンジンは珍しくないですが桜のエフェクトが出るってのも結構インパクトはあります。
その分、若干重めなので±0ってところ。
自分が一番評価しているゲームエンジンういんどみるのシステムです(==b


肝心なシナリオですが、さくら・音夢に限っては整合性取れています。
複数のシナリオが要る場合主人公の性格が違うだの、文章が違うだのよく言われますが団長が良しとしなかったため御影氏もかなりの回数手直しをさせられているらしく。
設定に関しては語られていないところもあります。
例えば、白河ことりの従姉妹という設定の白河さやかは水夏のキャラですが、さやか先輩の母親の妹の娘がことりだとか、ことりと純一が知り合いなのはアルティメットバトルin聖夜という前提があるとか、音夢が病弱なのは兄に守ってもらいたい、側にいて欲しいという想いから来ているものであって自分を死に至らしめるようなものじゃないとか、音夢が腹黒と呼ばれている背景にはさくらからの手紙を破り捨てていたこととか、頼子(美咲)は萌先輩・眞子と幼馴染だとか、美春は実際は純一を思慕しているけど音夢を慕う気持ちに摩り替えてるとかそういうの。
あと魔法の桜についてもD.C.ルートに入らない限りあまり深くは語られません。
これらがゲームにて説明される必要があるのかというと必ずもそうだとはいえませんよね。
知らなくても十分楽しめたはずです。
また、さくらと音夢のシナリオに関してはタイトルである「ダ・カーポ」にも触れられています。
プロローグのダ・カーポ
音夢のBADENDである夢も世界で音夢を選ぶと桜の香りとともに物語がリセット(最初にもどる)される(実際はさくらの魔法)。
音夢ルートで音夢がいったん「兄妹」に戻る(音夢が過去の記憶によりすがる)というのもこのタイトルの暗示といえます。
さくらで言えばこれは関係のリセットとも取れるでしょう。
暗示的・明示的にダ・カーポを示しているのがこの両シナリオ、さらにD.C.ルートのエピローグでも示されていたはずです。
このようにタイトルがちゃんと意味を成しているゲームで、更に言えばそれすらも分かりやすいものがダメ?ときかれるとどうも腑に落ちません。
極端な例であげれば「それは舞い散る桜のように」もこのようなタイプといえます。
すごく分かりやすい形で示しているにもかかわらずプレイする人間側にまったく理解されていないあたりが哀愁漂います。
かくゆー私も後年になって気づいた口ですので強くはいえませんが('A`)


で、これが美春シナリオになると点で違って設定をシナリオがだめにしてる例だと思います。
2ch語連呼するヒロインってどうなのよ。
しかも発条式ロボだし。
あのシナリオで唯一評価するべきところは純一の部屋で半脱ぎさせたのが(ry←これは私の趣味
眞子シナリオは言わずもがな。
萌先輩はなごむ存在なのでよし!


ゲームとしてダメだしするならキャラゲーっていうのに耐えられなかった口か、美春・眞子のシナリオみて不快感もっちゃったんじゃないかなーと。
このゲームに限ったことじゃないですが先が読めて詰まんない、なんて評価はこの手の話のやり取りを楽しもうとしているのでしょうか。
もちろん先を読むことで自分の考えがあたったとか複線の散らし方を観察するという楽しみ方もあると思います。
何も考えずにただキャラに萌えてみるのもそれはそれでいいんじゃないかなーと。
その上でそのキャラの心情や台詞何かを「読んでみる」のも面白いと思いますよ?


そういう葛藤が見て取れるので分かりやすいのはことりのシナリオと萌先輩のシナリオですね。
さくらよりで共通ルートを過ぎたときの音夢の反応も生々しいですし。
美春に関して言えばPC版がアレだったのかコンシューマではEDが追加されていてこっちは和やかなEDです。
かなり序盤で分岐しますが一応誰とも結ばれなかった形になる点に注目。
あと追加されているEDで音夢を諦めてことりを選ぶというのもあります。
このときまだことりは能力が使えるので知った上で純一を立ち直らせようとしてくれるわけで。
キャラ間の感情が読める点ではD.C.は十分及第点だと思うのですがさてはて。


D.C.を出した後でD.C.の政策にかかわった人が退社していますが、退社というよりはもともと外注の形での契約をしていたのでこれを機にって事のようです。
なのでWhiteSeason以降のD.C.作品に当時のメンバーはほとんどかかわっていません。
にもかかわらず再販したりすると事に反感を覚えているってのはあるかもしれませんね。
ただ、D.C.2に関してはこれらのことを踏まえてもそこそこ売れているって事から作品としては成功しているんじゃないでしょうか。
ぼかぁ特典CDが欲しかっただけなのでいまだにプレイしていませんが。



■歌出しすぎ
これは同意。
ゲームと合わせて主題歌CDを出すってのは当時では珍しいものでした。
でもゲームの曲や歌を保存してる人ってどれくらいいるんだろう。
私はプレイ後気に入ったゲームなら主題歌を抜き出して保存しておく人なのでD.C.関係の歌を集めるのには苦労しました。
半ば意地で集めてるところもありますが、フルサイズについて得に気にならないって人にはやっぱり関係ないのでは?
アニメとゲームをごっちゃにしてる感もありますが、一応全部合わせると129種類あるようです。(8/21現在)
このほとんど(加えてshort、full size)を揃えたためかなり悲惨な事になってますがこういう馬鹿は極めて稀なんじゃないかと思います。
今のところ関連するCDは30弱でていますが自分はこのうち30個持っていました


ざっと6万くらいです

俺様乙っ!!